1976年埼玉県川越市生まれ。
6歳より書をはじめ、
17歳で雅号を澄翔とし、
22歳で書道師範を取得。
女流書道家
現在、書道家として書道教室やイベント、音楽とのコラボレーション、店舗や商品のロゴ制作をするなど多方面で活躍されている矢部澄翔(やべちょうしょう)さん。
書道との出会いは小学二年生のとき。当時は控えめで、おとなしい感じの子だったそう。
「もともとは周りの友達がみんな何か習い事をしていて、私も何かやりたい!と思ったのがきっかけでした。そこで探したところ、自宅から一番近い教室が習字教室でした。習い事なら何でもよかったので早速始めました。当時私は人前で発表したり、話したりするのがすごく苦手で…。どんなに自信のある答えでも手があげられないような子だったんですよ。」と話す。
「大学では、ファッションの勉強をしていたこともあってアパレル業界に就職したいと考えていました。私が大学生の頃は、就職氷河期と言われている時代で、募集も少なく、受けても受けても落とされる時代。そんな中、私は大学四年生の春に面接した会社に、運良く即内定をいただき、そこに就職することに決めました。でも現実は違って…他の会社を全く見ずにここだと決めてしまったので、結果的に失敗してしまった。社会人になって初めて苦労というものを経験した気がします。そしてその頃、リクルートの求人募集広告に目がとまり、転職するなら早い方がいいと思い、気が付いたら合同説明化に参加していました。」そして何も分からず出版業界に入った澄翔さん。ファッションデザインの仕事や雑誌の紙面作りを経験し、ものづくりの仕事はとても楽しく自分の相に合っているんだと、転職を通して気づいたのだそう。
「書道教室は結婚して四、五十歳になってからできたらいいなと漠然と思っていた程度だった」と話す澄翔さん。あるギャラリーに行った時のこと。自由きままに書かれた作品に出会い、とても感動したそう。「その作品に触れたときに私が今までやってきたことは何だったんだろう。私の書ってなんだろうって自問自答しました。そして、私も人の心を動かすような作品を書きたい、自分らしさの出る作品を書きたい、そう思うようになったんです。ある程度やっていれば誰でも上手に書くことは出来ますが、人の気持ちは"上手い"だけでは動かすことができないんですよね。」そして、昼働きながら書道の専門学校に通った。
「最初は自分が書きたい字と、相手がこれいいねという字が違っていたりして、悩みました。でも試行錯誤を繰り返してして、相手の反応を受け入れられるような私らしい字になっていきました。ブログも書くようになったことで、徐々に仕事を頼まれるようになったり。私は、"これからも人に感動してもらえるような作品を書きたい。想いを形にしていきたい"そう思っています。私の書を通じて他の人が幸せになったり、喜んでくれたりというのが一番楽しいです。本当に自分のやりたいことを見つけるのは難しいかもしれない。でも探そうとしないのはもったいない。大学生の頃はとにかくいろいろなことをやってみることがいいかもしれません。勉強ももちろん、遊びでもアルバイトでも。そしてその中で"天職"に出会えたら幸せですよね。」